ブルース・オールマイティ

 俳優たちが実にのびのびと、自由にやってた。そういう作品はたいていつまらないが、これもやっぱりつまんなかった。監督がやりたい放題やるのが望ましい。例外も多くあれど、俳優陣がのびのび振る舞う作品の大方は、学級崩壊みたいな自由の履き違えによるものだと思います。しかしこれ、アメリカでは大ヒットしたらしい。


 ここ数年アメリカと日本で大ヒットする映画やTVドラマの多くは、人気タレントのキャラクターありきで制作されたものだ。だから作中人物の人となりの描写はない。タレントのキャラクターが、そのまま作中人物のキャラクターとなっている。

 人気タレント主演のドラマは、みんなドラマなんかよりタレントその人が見たいのね。あくまで演技をしていない素の「タレント自身」が、そのドラマの中でどうなっちゃうのか、(同じく素の)ヒロインとどうくっつくのかが見たいのね。それなのに、(仮に)キムタクが「演技」をして劇中で他人格になっちゃったら、そんなのは需要を把握できてないダメタレントだ。ジム・キャリーも、ディカプリオも、日本で大人気のキムタクもトヨエツもマッチもトシちゃんも、ドラマで他人格を演じずに素のキャラクター(素のキャラクターって矛盾ぽいけど、タレントとしての素ってこと)のままでいるが、それはニーズに応えている立派な姿勢なのだ。(余談だが、スマップのメンバーはドラマ出演の際は素だけど、スマスマのコントでは演技してる。)


 俳優たちは演技をしていないのだから、それはドラマというより台本でセリフを固定されたバラエティ番組と言った方が正しい。ドラマとして見てしまったらつまらなく思うのは当然だった。